Journal

Un dossier de la note indépendant

中島と聞くと・・・・。

中島悟が日本人初のパーマネントなF1ドライバーとなったのが1987年のことだから、もうかれこれ20年も前の話になるんだぁ・・・・。

月日の経つのは早いものである。
わたしゃ、この年初めて鈴鹿で開催されたF1日本GPを観戦して、身震いするほどの興奮を覚えたのである。
それまでも幾度か、国内レース(それこそ中島が走っていたF2やGCシリーズなど)を観戦していたのだが、F1のスケールとスピードはまったく比べ物にならないものであった。



あれから幾人もの日本人F1ドライバーが誕生し、中には「あの人は今・・・」と言われるような人もいるのである。
多くの日本人ドライバーは、F1のステージに立つことで精一杯であったのである。
佐藤琢磨の出現までは・・・。

佐藤琢磨は、持ち前のアグレッシブさと国際感覚で、ほかのどの日本人F1ドライバーとも違った感覚を持っていた。イギリスF3チャンピオンに輝き、鳴り物入りでF1に参戦した時は、わたしも相当興奮してしまったのである。
まぁ、残念ながら、いくつかの数奇な運命のめぐり合わせで、ただ一度表彰台に上っただけであるが、スーパーアグリで孤軍奮闘している姿を見ると、それはそれで涙が溢れるほど嬉しいのである。
(本人は決して嬉しくはないと思うのだが・・・・)

来年、テストドライバーながら、日本人の期待を背負いそうなドライバーがF1にチャレンジすることになった。
ウイリアムズ・トヨタのステアリングを握るのは、中島一貴
そう。中島悟の息子である。

モータースポーツというのは金がかかる。そのうえ、かなり危険なスポーツである。
血の道もあるだろうが、なにより周りの理解と協力がないと難しいスポーツである。
だからであろうか。
最近はいわゆる二世ドライバーがかなり多い。
現在活躍している二世ドライバーには、ケケ・ロズベルグの息子のニコ・ロズベルグネルソン・ピケJrの父親はもちろんあのネルソン・ピケである。
星野一義の息子の星野一樹も国内レースで頑張っているし、DTMにはニキ・ラウダの息子のマティアス・ラウダもいる。アメリカに行くと・・・アンサー家とアンドレッティ家、そのうえフォイト家まで絡んで、周りを見回せば親戚ばかりの中小企業のようである。(笑)

将来、中島一貴がどこまで成功するかは未知数である。
だが、古くからのモータースポーツファンは、「中島」と聞くと血湧き肉踊るのである。
頑張って欲しいのである。

彼も参戦するF3のマカオGPが、今年も17日から始まる。
好バトルを期待したい。



MotorSports | コメント:0 | トラックバック:0 |
| HOME |